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    2017-04-23 21:36:03 | おーい!中村です!!

小さな大銀山


 石見銀山の特徴は「小さな大銀山」と思う。

 

 16世紀に本格的な開発が始まり、製錬技術“灰吹法”の導入のおかげもあって世界屈指の銀鉱山として栄え、国内外の社会に大きな影響を及ぼした存在感は、「大銀山」と呼ぶにふさわしい。そして、日本の鉱山を技術的にリードし、近現代の社会基盤の成立にも間接的に影響を及ぼした鉱山である。

 

 では、鉱山としての規模を単純に比較した場合、石見銀山が国内で突出した銀鉱山かと言えば、必ずしもそうではない。上位には違いないが、秋田県の院内銀山、兵庫県の生野銀山などに比べると規模的に小さく、世界的に見れば中小規模の銀鉱山だろう。江戸時代に銀鉱山としては衰退し、明治時代の銀鉱山としての再開発が失敗に終わったことも、鉱山の規模がそれほど大きくないことを物語っている。石見銀山が16世紀に大銀山だったのは、“当時としては”多量の銀を産出したから、と言うことができそうだ。

 

 鉱山技術は時代を追って進歩し、それによって総産出量も増加する。16世紀の時点では、国内では計画的な坑道を開発する技術がそれほど高くなく、銀製錬技術も原始的な灰吹から、意図的に鉛を加える灰吹法に進歩したばかりであった。当然、エンジンやモーターを搭載した機械はなく、採掘に火薬を使うこともない。もっぱら、ノミとツチによる手掘りである。世界的にも、多少の技術差こそあれ、近現代に比べれば生産性ははるかに低い。つまり、当時の産銀量は、近現代に比べれば大したことなかったのだ。石見銀山は単純な規模は大きくはないが、16世紀の生産量の中では頭ひとつ抜け出すことができたのだ。そこが石見銀山の面白いところであり、古い採掘跡が遺跡としてよく残っていることにも関係している。

 

 16世紀の石見銀山が世界屈指の銀鉱山となり得た理由には、その地質的な特徴に由来する生産効率の高さによると考えている。石見銀山は、当時の技術において、「掘りやすく、(銀を)取り出しやすい鉱山」だったのだ。

 

 石見銀山の本体というべき仙ノ山は、少し特殊な山だ。仙ノ山はいくつもの溶岩円頂丘が集まる大江高山火山の一角をなす火山なのだが、この山だけは溶岩ではなく、大部分が溶岩のかけらである“火山礫”と細かな“火山灰”が堆積してできた山である。このような火山地形は火山砕屑丘と呼ばれる。いわば、火山性の「土砂山」だ。

 

 その土砂山で高温の温泉活動(=熱水活動)が生じ、それによって銀鉱床が形成された。このことが石見銀山を特徴的な鉱山にしている。地下のマグマから銀を運んできた熱水は、土砂に広く染み込み、立体的な広がりを持った鉱床を形成した。一般的には岩盤の割れ目だけを熱水が流れ、そこが鉱脈になるのに対し、石見銀山では熱水が土砂に染み込んだ範囲が広く鉱石に変化した。

 

 岩盤の割れ目に沿う細い鉱脈を掘り進む場合に比べ、立体的に広がる鉱石を採掘するのは効率が高い。前者は鉱脈を追う狭い坑道の先端部分でしか鉱石が採れないが、後者は辺り一帯を掘れば全て鉱石なので、作業人員を投入することで多くの鉱石を採取できる。これは有利だ。

 

 しかも、もとは土砂だったものが鉱石に変化する段階である程度の硬さに固まった岩盤で、岩質的にはかなり柔らかく掘りやすい。しかも、亀裂が少ないために落盤の危険性も低い。掘りやすさと採掘効率において、石見銀山は大変恵まれている。土砂状の岩石に熱水が染み込んでできた鉱石は、含有率の点においては一般的な鉱脈に劣ることが多い。石見銀山の銀生産の主力だった「福石」という鉱石も、銀品位においてはそれほど優秀ではない。しかし、鉱石の採掘量が多ければ、その分だけ多くの銀を産出できる。

 

 比較的柔らかい鉱石は、製錬の段階でも有利だ。鉱石の品位を高めるために細かく砕いて良い部分だけを取り分ける選鉱を行うが、柔らかいために砕くことも難しくない。石見銀山では砕く際の土台に使った「要石」が数多く残っていて、多量の鉱石を大人数が砕いて処理したことを物語っている。柔らかい鉱石を砕く作業は、女性や子どもの力でも十分可能だったのだろうか。

 

 掘り出し、砕き、選鉱した鉱石はいよいよ溶かして銀を取り出すのだが、そこで使われたのが灰吹法の技術である。石見銀山に伝わったのは、銀鉱石に鉛または鉛鉱石を加えて含銀鉛を作り、それを灰の上で空気を送りながら加熱して、溶けた鉛だけを灰に染み込ませる方法である。この製錬技術は、銅をほとんど含まない銀鉱石には有効であるが、銅が多い場合は銀銅合金を取り出すことはできるものの、銀と銅を分けることはできない。銀銅型の鉱山では、銀鉱物だけを手で選り分けてから溶かすか、16世紀末から17世紀に伝わった「南蛮吹」を使わなければ銀を得ることができない。仙ノ山の中腹以上は銅をわずかしか含まない鉱石で、灰吹法で高品質の銀を作ることができたのだが、これは鉱物の組み合わせに恵まれた幸運なことであった。石見銀山の鉱石は、16世紀の技術で銀を取り出しやすかったのである。

 

 銀の全体量としては決して大きくはない石見銀山が、16世紀の段階で「掘り出しやすく、取り出しやすい」鉱山だったというのは、以上のような理由だ。当時の技術、特に灰吹法に最適の鉱山だったのが石見銀山であった。国内で他に先駆けて灰吹法に成功したのも、当時支配していた大内氏が中国朝鮮とのルートを持っていたということもあるが、灰吹法がぴたりと当てはまる鉱山はそれほど多くなく、石見銀山はその貴重な一鉱山だったということも大きいだろう。

 

 かくして、石見銀山は当時としては多量の銀を産出することに成功し、世界を動かすきっかけになるに至った。ヨーロッパや中国が銀を求めた16世紀という絶妙のタイミングで石見銀山が開発され、その地質的な特徴が当時の技術にベストマッチだったからこそ、大銀山になり得たのだと思う。

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・氏名   中村唯史(なかむらただし)
・生年月日 1968年2月29日
・住所   島根県大田市
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