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    2018-02-05 21:01:54 | おーい!中村です!!

三瓶農民道場





数年前、松江にお住いの方から手紙をいただいた。

三瓶山北の原の姫逃池についてのコラムを読んで、10代の頃に三瓶山で過ごした時のことを懐かしく思い出したという内容であった。

北の原から下った辺り、大田市三瓶町多根と同山口町の境辺りに「三瓶農民道場」があり、そこで畑を耕す日々を過ごしたこと、休日に姫逃池まで遠足に出かけたことが記されていた。

時代は太平洋戦争の最中、戦況は厳しく日本国内は食料も働き手も不足していた。農民道場には若い女性ばかりが駆り出されていたそうだ。



その後も時折手紙をいただき、当時の写真3枚を送ってもらったこともある。その1枚が上の写真で、畑へ向かう途中の風景らしい。記念写真もあり、そこには祠の前に30人ばかりの訓練生が並び、中央には教官らしき男女が写っている。小さな写真であるが、みんな少し疲れた表情であることが見て取れる。食料増産のために慣れぬ畑仕事に駆り出されたのだから無理もない。写真には時代の空気も写っているように感じる。

先日もその方から手紙を頂き、道場はもともと「満蒙開拓義勇軍」の道場であり、農家の次男三男が農業を学んで大陸へ開拓へ出かけた旨が書かれていた。

手紙に返事を書きながら、もう少し何か分からぬかと思いネットで検索してみると、幾つかの情報を得ることができた。

昭和14年に発行された「青年修養特殊施設」という書籍に島根県立三瓶農民道場が記されており、道場は昭和10年に設立されたとある。北三瓶地区のサイトには、北の原の名号石のそばにある「満州開拓慰霊碑」が紹介されており、その慰霊碑の趣旨がまさに三瓶農民道場で訓練し、満州へ開拓に赴き帰らぬ人となった500人余りの人々を供養するというものであった。手紙に記されていた満蒙開拓義勇軍とはまさにこのことであったのだ。
また、現在は大田市波根町にある農林大学校の沿革には、三瓶農民道場がそのルーツとして紹介されている。

ネット上の情報のおかげで、いくつかの事柄がつながった。今はまだ未消化であるが、三瓶農民道場について少し整理して記録しておきたいと思う。



 

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