2014年3月のエントリー
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三瓶山の火入れ
「三瓶山の火入れ」
里では春の盛りを迎える頃、三瓶の峰はようやく根雪が消え、ゆっくりと季節が変わり始めます。
その頃、山裾に広がる草原の、雪に押しつぶされた枯れ草に火が放たれます。燃え広がる炎は見る間に一面を焼き尽くし、三瓶山に春の訪れを告げる狼煙が立ち上ります。炎が通り過ぎた草原は、燃え残った炭とむき出しになった黒土の焦土となり、春を待っていた命も焼き尽くされたかと思われます。しかしそれもつかの間、10日も経たないうちに柔らかな緑が育ち始め、やがて新緑の季節を迎える頃にはむせるほどの草いきれが立ちこめ、命の躍動が始まります。
西の原や北の原などで見られる草原の風景は、三瓶山の大きな特徴です。江戸時代の前半、17世紀に大田吉永藩が牧畜を奨励して以来、三瓶山では牛の飼育が盛んに行われ、牧場として使われた山裾のみならず、峰の大部分も草地に変わりました。明治時代から1945年の終戦まで、三瓶の野は陸軍の演習地としても使われ、何百年にもわたって草原が維持されてきたのです。
草原の維持は、思いのほか手がかかる仕事です。放っておくとすぐに木々が育ち始め、数年で薮になり、やがて森林に変わっていきます。火入れは、枯れ草とともに育ち始めた幼木を燃やし、草原を保つための手段として、昔から行われてきました。そのルーツは、原始の焼き畑にまで遡ることができるかもしれません。
1963年に三瓶山が国立公園に指定された時、草原景観と火山地形が評価のポイントでした。主峰の男三瓶山(1126m)をはじめ、女三瓶山、子三瓶山、孫三瓶山などの峰からなる山体の山裾を、帽子のつばのようになだらかな斜面が取り囲み、一帯が草原に覆われた景観は、牧歌的で優しさを感じる風景です。その穏やかさの一方で、生い立ちの歴史は驚くほどの荒々しさを秘めています。なだらかな斜面の外周、直径5kmほどの範囲は、何万年もの昔に大噴火によって形成された大噴火口。峰々はその内側に溶岩が噴出してできた溶岩円頂丘という高まりです。火山活動によって形成された地形と、そこで長年にわたって続いてきた人々の営みが融合した結果として、三瓶山の自然環境と景観が生まれました。それは、自然と人が調和した、里山的な環境なのです。
戦後、社会構造や生活様式の変化とともに草原の利用価値は薄れ、全国的に草原は減少しています。三瓶山でも昔に比べるとその範囲はずいぶん狭まっています。それでも、まだまだ広い草原が残る三瓶山では、他ではあまり見られなくなった山野草が残されています。晩春の草原にうつむき加減に深紅の花を咲かせるのはオキナグサ。草原を象徴する、しかし絶滅が懸念されている植物のひとつです。オキナグサの花が終わり、名の由来でもある老人の白髭を思わせる綿毛が風に揺れる頃、木立からはハルゼミが鳴きしきる声が聞こえ、季節は夏へと足早に進み始めます。
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