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    2016-02-23 11:25:00 | おーい!中村です!!

大田市の石文化


大田市は石文化の町と思う。

 

普段、そのような表現が使われることはないし、目を引くような建築物、石製品があるわけでもないので、石文化の町という言葉には違和感を覚えるかもしれない。

しかし、そのつもりで眺めると、この地の石との関わりは大変興味深い。

 

そもそも、人は日常の暮らしで石を多用してきた。

金属やコンクリート(これらも元は石であるが)が建材の主役になるまで、人は石と木を使って暮らしてきた。だから、どの地域においても、地域固有の石の使い方があり、石の文化がある。そのような意味では、大田市が特別ということはないけれど、当地の面白さは、中小の石切り場が多数存在し、村単位、集落単位で地場産の石を様々な用途に使ったことにある。その中で、良質のものは流通し、代表が今も採石が続く「福光石」(岩石名は火山礫凝灰岩)と言えるだろう。

 

大田市は、石材として利用しやすい石の宝庫だ。

日本列島が形成された時代の火山活動によってできた凝灰岩類(火山灰や火山礫が固まってできた岩石)が広く分布しており、これは比較的軟質で加工しやすく、切石として加工して使うにはもってこいの岩石である。

土台石やちょっとした石垣、井戸枠、敷石など、明治から昭和はじめ頃までの建造物にはこの石が多用されている。典型的に見られるのは、古い町並みが残る大森町と温泉津町で、いずれも、それぞれの町の中で調達した石を加工して使用している。

 

もちろん、すべての石を現地調達しているわけでなく、目的や意図に応じて使い分けしている。

大森町の例では、家屋や道などの一般的な工事に使うのは地域内の石、強度が必要な場所には同じく近隣の石ではあるが、凝灰岩ではなく大江高山火山の火山岩、社寺で使う上等な石製品には現地では調達できない白色の凝灰岩や、福光石などという具合に、明確な区別がなされている。

 

使われている家屋や石製品の残り具合の差こそあれ、石の使用は大森、温泉津に限らず、大田市のほぼ全域で同じような傾向が見られる。そして、川合から大田では砂岩が多くなったり、三瓶に近づくと三瓶火山の火山岩が多用されたり、やはり、それぞれの地域の石がきちんと加工した製品として使われている。

 

昔は、地域の石を地域で使うことはどこでも当たり前に行われていたので、その点だけで見ると、大田市の事例もごく普通ということになる。しかし、石をそのまま石として使うことと、「きちんと加工した製品」にすることの間には大きな隔たりがある。大田市の場合は後者だ。

石を加工するためには「石工」がいなくてはならず、石工がいるためにはそれが商売として成り立つ必要がある。ノミやツチなどの道具を作る鍜治も近くに必要だ。おそらく、大田市の石の文化は、凝灰岩などの使いやすい石に恵まれていることと、小さな社会単位ごとに石工商売が成り立つだけの社会的背景の両方に支えられたのだろう。

 

大田市の石製品と石切り場を追うと、近世から近代の社会が少し見えそうな気がしている。

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・氏名   中村唯史(なかむらただし)
・生年月日 1968年2月29日
・住所   島根県大田市
・職業   NPO法人石見銀山協働会議副理事長

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