2019年2月のエントリー
2019-02-03 18:56:22 | おーい!中村です!!
らふせん
縁あって松井整司先生が保管していた資料の一部が手元にやってきた。
その中にあった「青焼き」のプリント。
色あせもなく綺麗に保存されているところに、松井先生の几帳面さを感じながら内容を見ていると、島根大学地質学教室を中心とした「都野津団体研究会」の案内文らしきものがある。
案内文のタイトルは「the rafusen」、1975年12月とある。
「らふせん・・・?」
内容は調査と取りまとめの経過と、調査の案内(本当に最後のとあるので、追加調査なのだろう)である。
文章中に、「“羅浮仙”に同封」、「“羅浮仙”にて報告」とあり、タイトルの「the rafusen」がすなわち「羅浮仙」であることがわかる。
ここから、想像。
地質に限らずだが、かつて、野外調査が多い分野の研究者は酒飲みが多かった。そんな人たちが企画した都野津層と大江高山火山の研究会である。大江高山の膝下で作られている酒の名を会報に用いたのだ。
そう思いながら、プリントの最後にある調査の日程と申し込みの部分を読むと、夜間の連絡先として「大西宅」の電話番号がある。
なるほど、やはり間違いない。
酒とタバコとラーメンだけで生きていた大西先生なら、会報に羅浮仙の名を使うに違いない。
大西先生とは、島根大学地質学教室の先生で、第四紀という地質時代の研究、とくに花粉化石の研究では第一人者だった人だ。不摂生がたたったか、現役中に故人となられたが、そうでなければこの分野の研究はもっと進んでいただろう。
松井先生、大西先生を偲びながら、「羅浮仙」を飲みたい気分だが、残念ながらこの酒ももうない。
そんなことを思う自分も、ずいぶん「古く」なったものだ。
