2020年11月のエントリー
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石丁場の町、大森
石見銀山の町、大森町は町並みそのものが「石丁場跡」という変わった町でもある。
石丁場とは石材として用いる石を切り出す場所、つまり石切場のことだ。
詳しい人は大森町で使われた石材と言えば「福光石」を思い浮かべるかも知れない。温泉津町福光で産出する石はその名で呼ばれ、墓石などにかなり使われている。
しかし、石垣や土台石などの建築材に使った石は、その大部分を大森町内か隣接する久利町赤波で調達している。福光石を建築材として使っているのは神社の玉垣などごく一部で、この石は基本的に細かな細工を施す石、そうでないものは近場の石という具合に使い分けている。
観世音寺下の石丁場跡
そのつもりで大森の町並みを見ると、至るところに石を切り出した跡が残る。
家屋の山側など、切り立った岩壁があればほぼ例外なく石を切った跡である。よく目立つところでは、写真の観世音寺が建つ丘は、周囲から石を切り進めたために険しい岩山になっている。銀山川に面した側では、方形の大きな塊で石を切った跡が階段状になっており、本格的な石丁場だったことが伺われる。この反対側、郵便局に近い側も、石丁場の跡が垂直な岩壁になっている。必要な石を手近なところで採ったという規模ではなく、生業として石を切り出す石工が何人もいたと思われる。
同じように、代官所前広場の岩山も石を切った残丘であるし、銀山地区との境辺りまで、至る所が石丁場なのだ。
大森町内で切った石は、火山灰などの火山噴出物からなる凝灰岩の一種(凝灰角礫岩)で、福光石と成因、性質がよく似ている。福光石に比べると不均質で、やや脆いために、石材としてはそれほど優秀とは言えないものの、しかし、石垣などには十分使える石である。銀山隆盛の時代、人が増え、町の整備に石が必要になる中で、地元で石材を調達できたことは幸運だったと言えるかも知れない。切石に向かない堅い石の分布域だったら、これほど時代に切石を使うことはなかっただろう。切石で整然と町割を整備していることは、古い町割が残っていることと無縁ではないと思われる。
観世音寺下石丁場の岩
近場で石を切り出して使うことは大田市内の広い範囲に共通しているのだが、石を多用した時代に人口集中地だった大森町は、石の使用量も多く、結果として大規模な石丁場跡が町内に残された。しかも、狭い谷沿いに町が広がったため、石丁場跡に家屋を建てて町を広げた様子も見られる。
同じことは温泉津の町並みでも行われていて、町並みそのものが石丁場跡というのは石見銀山の町の特徴のひとつと言えるだろう。
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