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    2018-12-18 21:58:15 | おーい!中村です!!

島の学校


ラジオで「島」をテーマに、各地の島の話題を取り上げていた。
自分も島で生まれて、中学校まで島の学校に通った。

島と言っても本土との距離は約10m、ほとんど陸続きみたいなものだが、れっきとした島である。
その名も「彦島」。
本州の西の端、下関市の先っぽにある島だ。

生まれたのは彦島の弟子待というところ。
関門海峡に面していて、すぐ目の前に巌流島がある。武蔵と小次郎の決闘が行われた島で、弟子待という地名もその決闘にちなんだものだとか。
しかし、子どもの頃は有名な巌流島がどこかにあって、関門海峡で資材置き場とされている島は同名の別物だと思っていた。

さて、島に住んだのは1歳半の頃まで。
その後は、島に接した本州側、大和町という所に住んだ。
大正から昭和にかけて埋め立てして作った土地だから、それぞれ1文字ずつとって「大和」という場所。
そんな土地なので、家の前はマルハの工場、その先は下関漁港、反対側は国鉄の車両基地という、とても民家があるような場所ではなく、昼も夜も工場の機械音、列車の音、トラックの振動に囲まれて暮らしていた。

大和町は本州側の土地なのだけど、自分が住んでいた2丁目は島の学校の学校。本州側から島へ通う校区設定は、全国でも珍しいのではないかと思う。
毎朝、造船所が大音量で鳴らすクラシックのメロディーを聞きながら、幅10m足らずの水門を渡って学校に通った。

その水門というのは、島と本州側に挟まれた狭い海峡の潮流を止めるためのもの。埋め立ててしまうと、漁港から関門海峡側への出入りが不便になるため、水門で潮流を止めると同時に、潮位差を調整して船を通す仕組みになっている。
水門は人の通路も兼ねていて、そこが通学路。
船が来ると水門が動き、上がり始めた通路を駆け抜けては監視の人にスピーカー越しに怒られる、というのが小学生たちのお決まりの遊びだった。

学校は漁港を見下ろす高台にあり、船のエンジン音が聞こえた。
マルハの船団が出航する時には朝から昼ごろまでかけて次々に船が出て行き、その間は軍艦マーチが鳴り続けていた。

様々な音と、機械油と魚の匂いが入り混じった潮風に囲まれた、何とも騒々しい「島」での暮らしだった。
そんな環境のおかげで、懐かしい「故郷の味」は、マルハの魚肉ソーセージなのである。



日々渡った水門橋の上から。この狭い海が彦島と本土を隔てる。この海が下関漁港。油と潮が混じった匂いはいつまでも記憶に鮮明。




左奥のコンクリート製アーチが水門。当時は鉄骨製だった。右の路面にあるラインは引き込み線の跡。ここに手動の踏切があり、監視所に係員が常駐していた。学校帰りに監視所に寄ると、踏切を操作する機器を説明してくれたりした。おおらかな時代だった。





水門橋。これを渡ると彦島。このそばでよく釣りをした。手のひらサイズのクロやチヌが良く釣れるのだけど、油臭いので食べることはしなかった。




小学校の正門前から「参道」のような進入路を見る。8月に行われる盆祭りの時には、この坂に屋台がずらっと並んだ。奥に見える山は門司の風師山。




盆祭りの2週後くらいに、やはり小学校で地蔵祭りがある。この時には西楽寺という寺からお地蔵さんがやってくる。この寺にはコンクリート製の仏像もたくさんあり、小さい頃は右の白い仏像が不気味に思えてかなわなかった。




工場が立ち並ぶ場所に家があった。ラジオ体操やソフトボールの練習など町内会の行事はこの道を歩いてかよった。

コメント(2件) コメント投稿


船尾がスロープになったキャッチャーボートが時々並んで停泊していました。マルハの工場の屋上にあったクジラの大看板はシンボル的存在のひとつでした。

by なかむら ( 2018-12-21 21:17:47 )

私の妻の父(私の義父)は大洋漁業のキャッチャーボートの機関長でした.昭和48年ごろ?一度だけ下関で,南氷洋へ出航間近のキャッチャーボートを身近に見たことがあります.

by Mr.T ( 2018-12-19 08:07:11 )


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プロフィール

・氏名   中村唯史(なかむらただし)
・生年月日 1968年2月29日
・住所   島根県大田市
・職業   大田の自然史案内人

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