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    2019-03-20 22:33:27 | おーい!中村です!!

温泉津湾は石切場であること





温泉津には石見地方を代表する石材、福光石がある。
現在も採石が続くこの石は、16世紀後半から今の場所で採掘が始まったらしく、石東部を中心に、石見の各地に古くから流通しており、さらに遠隔地にも広がっている。

この石が広く使われているので、大田市の石材といえば福光石という印象もあるが、明治時代頃までは福光石と質的に似た凝灰岩が市内の各地で採石されており、その石切場が多数残っている。

中でも温泉津海岸には少々驚かされる。
海岸の至る所に採石の跡が残っているのだ。

上の写真は櫛島の東側にある湾の出口。
この写真では人工的な印象はないが、この範囲にも採掘跡が多数ある。
岬の先端部分には、採石跡に水が溜まった長方形の潮溜まりもあり、湾内にも採石跡がある。



次の写真は、上の写真の中央付近を拡大したもの。
中央やや右の海食台は採石の跡だ。その奥側、中央やや上部に見えるくぼみも採石によってできた穴で、海蝕洞ではない。

周辺には他にもいくつも採石跡があり、櫛島には円盤(円柱)状に石を切り出した痕跡も残されている。
海岸の広い範囲が「石切場」なのである。

海岸で石を切るメリットは、直接舟に乗せることができるため、輸送が楽ということがある。
また、石は荷を降ろして船体が軽くなった船のバランスをとるための重り「バラスト」としても使われた。
使い道がない石では労力がもったいないので、石材として使える石が港の近くにあればそれを重りを兼ねて積み込み、次の寄港地で売ればバランスと利益の両方を得ることができる。

温泉津海岸に採石の痕跡が多数残るのは、当地の石が加工しやすい石であることに加えて、温泉津湊に出入りする船の多さを物語るものだろう。
石見銀山隆盛の時代、大森を中心とする銀山の町は大消費地で多量の物資が温泉津湊から運び込まれたため、出入りする船も多かった。
消費地であるために、温泉津湊は荷を入れる量が出す量よりも圧倒的に多かったはずだ。そうなると、温泉津湊から出て行く船にはバラストを積まなければ船体が軽すぎる。そこで、石が使われたのではないか。

温泉津、小浜の町に必要な石を切り出したということもあるかも知れない。
ところが、これらの町の岩盤も同じ岩なので、わざわざ海岸から運ぶまでもなく、現地調達できてしまう。町の傍で石を切れば、その分だけ土地を広げることもできる。実際、温泉津の町には石を切った跡地が建物用地に使われている。

温泉津海岸に残る多数の石切の痕跡は、温泉津湊と石見銀山の隆盛を物語るものでもあるのだろう。



櫛島の採石跡



櫛島の円盤状採石跡

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・氏名   中村唯史(なかむらただし)
・生年月日 1968年2月29日
・住所   島根県大田市
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