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    2017-11-22 12:16:43 | 館長の部屋

12月3日に多々納真さんの講演会


開催中の「百年デザイン 出西窯の70年」展はお蔭さまで多くのお客さまにご来館いただいております。展覧会にあわせて、12月3日(日)午後1時30分より、出西窯代表多々納真さんに「出西窯の70年―これまでとこれからとー」と題してお話しいただきます(入場無料、予約不要)。どうぞお越しくださいますようお願い申し上げます。

多々納さんの文章をご紹介させていただきます(10月27日「山陰中央新報」掲載文を転載)。

 

家にはたくさんの焼き物があり、そこに機織りをする母がいた。私はそんなものづくりの家に育ち、ごくごくあたり前に工人になった。

いつも全国の焼き物づくりの人や民藝の指導者が我が家にやって来て、父と酒を酌み交わしていた。酔った父が台所で寝ていたこともあった。ある時、ヒゲの外国人が泊まった。朝、母が七輪で炭を起こし、紅茶を淹れてパンを焼いた。焼きあがったパンを見て、その人はもっと焼くようにと言う。何度かやりとりするうちに焦げてしまう。「食べられなくなるのでは」と思ったのを覚えている。この人がバーナード・リーチだった。

 父は他人を怒る人ではなかった。そんな父からひどく叱られたことがある。

 創業メンバーの一人が、それぞれ少しずつお金を出し合うから食事をつくってくれと言った。私は言われるまま食材を買ってきたが、それを知った父は、「みんなで食べるものは工房で払うべきだ。勝手なことをするな」と怒る。家に帰ろうと歩いていると、自転車で追いかけてきて同じ話をして説教する。「無自性(むじしょう)(おかげさま)」という仏教の教えを集団の理念とし、新しい理想の村づくりを求めて始めた共同体では、個人の勝手な思いで行動してはならないというのが父の考えだった。常に共同体の在り方を考える人だったからこそ怒ったのだった。だから、展覧会に出品する際も、個人名は出さずに出西窯として応募した。

 その後も、共同体の在り方や社会人としての在り方で叱られたことはあったが、私が焼き物の道に進みたいと言った時は褒めてくれた。

 やがて私は出西窯に入ったが、焼き物が出来上がると父に見て貰った。「これいいね」と言われるとうれしくなり、合格させて貰えないと安心出来なかった。晩年、病気をしてからは、枕元に作品を置いておくと、「これいいね」と褒めてくれた。

父は75歳で引退し、窯の経営は創設メンバーの第2世代を始めとする人達に委ねられた。私たちはそれまでのやり方を改善し、使う方が喜んでくださる「用の美」を求めて来た。現在25名が働いているが、このうち陶工は10名だ。

8時45分、始業のベルが鳴り、みんなで河井郤]困気鵑痢峪纏の歌」を唱和する。日中はそれぞれが自分の仕事と向き合い、17時30分に「南無阿弥陀仏」を10回称えて終える。その後も、各自が自主的に作品づくりをしたり新たな工夫を考えたりする。この習慣は何十年も変わっていない。

日本のものづくりの現場は厳しい。若い人は工夫を凝らして独自の釉薬をつくろうとしなくなった。今はいいだろうが、年を取ったら買って貰えなくなるのではないか。焼き物づくりは楽をしたり時間を短縮して出来る仕事ではない。出西窯は自主的に努力する者以外はいてはならない場所だと考えている。その思いは他人に言われて身につくものではない。

先代から学んだものを次世代にどう繋ぐか、私は技術や姿勢を背姿で伝えていきたいと思う。これからも、「使う方が喜んでくださるように」と願いながら仕事をしていきたいと思う。




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